1400頁以上の文庫本を今日読み終えました。達成感は半端ないですね!
あなたが、蜘蛛だったのですね――
犯人の告発から物語が始まり、最後の一言もこの言葉だったのですが、妙に腑に落ちて読めました。
事件が二重に絡まります。別々と思っていた事件がリンクして、最後に集約される様は気持ちがいい読み応えでした。
あと、疲れて解説は斜め読みしました。解説って要りますか?(過激派)前に解説で或いは後書きで台無しにされたと思ったことがあるので、あまり真剣に読まなくなりました。たまに本編と逸脱したものもありますしね。解説って蛇足だろう~。と思うこともあります。本編のほうがよっぽど分かり易いものです。
そんな愚痴はいいのですが、犯人はある程度分かり易かったように思いました。ただ途中どんでん返しがあったり、事件の犯人は複数いたり、そいつらを操る人間もいたりですごく複雑でした。
それに宗教学、心理学、医学、その他沢山…、の含蓄が深く、一度馴染んだらこれくらい内容がないと物足りなく感じてしまいそうだなあと思いました。味の濃いものに慣れたら薄口に戻せないというか…(もっといい例えはなかったのか)。
全然話は飛びますが、夏空のモノローグの小川葵ちゃんはミステリ最後から読む派の人間らしいですね。葵ちゃんは大好きですが、わたしとは相いれないと思いました。
篠原涼太くんも「それなら再読すればいいじゃないですか!」って言ってて至極尤もだと思いました。その本を最初に読むのは人生で一回なのでファースト・インプレッションを大切にしたいです。ゲーム然り。
次は何読もうかな~。京極先生の作品が楽しくて楽しくて、また次を読みたい気分ですが、森先生のWシリーズも手に入りましたし、朝丘先生のBLも読みたいし。
たまに読書スタイルで、複数の本を並行しながら読むって方がいるみたいですが、わたしがそれやったら絶対話を忘れてそうですね。ただでさえ乙女ゲーを並行しているので、これ以上並行世界を作るのは得策ではない気がします。一人混乱を招く。
でもそのスタイルで読書すると、他の本でこの本のことに気付かされることがあるって言ってましたが、そんな偶然なかなかないのではないか…。と思ってしまいます。否定はしませんよ。わたしには合わないのではないか、という意味です。
池上彰さんの本でありましたが、読書は考えているようにみえて実のところ「他者の思考をなぞっている」だけである、とあり、はあ確かに。と思いました。
思考したくない時の逃避方法にいいのかもしれないと思います。読んでからあれはこうだったからこうなのか、とか考えたりしますけどね。
京極先生の分厚い文庫本を読むと、書痴になった気分になります。次は何を読もうかな~。
乙女ゲーは今下天愛蔵版で師匠を狙っています。